登場人物
- 話し手(おばあちゃんの孫。おばあちゃんと同居)
- おばあちゃん(98歳。認知症)
- 叔母さん(おばあちゃんの妹、おばあちゃんと住んでいる場所は遠く離れている)
私がまだ実家でおばあちゃんと同居していた時の話です。
ある晩の22時頃にリビングで母とテレビを見ていたら、寝ていたはずのおばあちゃんが急に現れ叔母さんとの思い出話を急にはじめました。
「これは私が妹からもらったセーターだよ」
「みんなで一緒に旅行に行ったの覚えているかい」など、おばあちゃんは叔母さんとの思い出を急にたくさん話し始めたのです。
当時、叔母とは数年会っていませんでしたし、住んでいる場所も離れていたので私も母も「?」となっていました。認知症を患っていたので、それが原因かな?と思いその日は3人とも就寝しました。
しかし、次の日の早朝、叔母の旦那である叔父から電話がかかってきて
「昨日の22時ころ、家内が息を引き取った」
と言うので母も私も驚きました。叔母さんが亡くなった時間と昨夜のおばあちゃんの言動の時間が一致していたのです。
「人は亡くなる直前に家族に会いに来る」ということや「虫の知らせ」ということは耳にしていましたが本当にそんなことが起こるとは・・・。
おばあちゃんと叔母はすごく仲が良かったので、亡くなる前に会いに来たのかもしれないねと母と話をしていました。
亡くなる直前に人は家族に会いに来る?
今回のお話のような亡くなった方がご家族に会いに来るというのは姉ちゃんの見解としてどう?
ごく自然なこと。というのが見解だね。ただし、少し違うのが
「亡くなる直前にご家族が会いに来る」ということよりも叔母様の最後を受け取った「おばあさま」にフォーカスして私の見解をお伝えしていこうと思う。
気になったポイントは
- お祖母様の霊感
- お祖母様の認知症
この2つかな。今回のような場合は一般的に亡くなった方に話がフォーカスされやすいことだよね。
亡くなる直前に会いに来てくれたんだね
というように、「亡くなった」という事実を元に推測して「亡くなった方が会いに来た」という結論を導きやすいなと。
今回のお話の場合は叔母さんが亡くなる直前に会いに来たということではない?
そうだね。
「叔母様が亡くなるからお祖母様に挨拶をしにきた、会いに来た」
のではなくてこのお祖母様が霊感が強い方だと感じました。
このお祖母様が感覚的に
- 叔母に何かあったということを感じ取った
- その感覚と「死」が連想できなかった
- しかし、懐かしい思い出などが急に溢れてきた
- それを誰かに共有したかった
という感じが近いのではないかな。
叔母様の何かの変化を感覚的には感じ取れたけれど、死というイメージまでは連想できなかった。だからこそ、この抑えきれない不明な感覚や想い、叔母への愛を誰かに伝えたいから話し手さんとお母様に伝えに来たという行動かなと思いました。
このお祖母様の感覚がものすごく鋭敏だったのかなとこの話を受けて私は思いました。
亡くなる直前の「むしの知らせ」というものはある?
お祖母様の霊感が強いという話と紐付けると、近しい存在の方が亡くなることが分かることをむしの知らせという表現をするじゃない?そういうものは実際にあるのかね?
これは、実際にあるね。「むしの知らせ」というと、「虫?昆虫?」と思うかもしれないけど、
古くから人間の体内に住んでいて意識や感情に影響を与える存在を「むし」として捉えていた名残りの言葉だよね。
- 嫌な予感
- 胸騒ぎ
- 嫌な予兆
- 第六感
などもむしの知らせの一種だよね。体の中の何かよくわからないけれども、超越した何かを感じるもの。それを「むし」として表現したんだね。だからあえて、私は「虫」ではなく「むし」とひらがなにすることが多いかな。
この「むし」がいわゆる霊感なんです。人間本来が持っている研ぎ澄まされた感覚。
その感覚が、相手に何かあった時に何かを伝えてくれる、何かを感じ取らせてくれるということだよね?
そうだね。
- 同じ血を分けている
- 同じ縁で繋がっている
- 同じエネルギーで繋がっている
など、同じもので繋がっている相手に何かあったらお互いにどんな距離があっても、その人のことを思い出したり、苦しみが分かるということが人間には本来の機能として備わっているんだよね。
これは、不思議なことでもなんでもなくて
当然。それは霊感ですよ。という感じ。
- 亡くなった人のことが分かる
- 何かあったというのが感じ取れる
- 声が聞こえた気がする
というのは人間ならば、共に生きてきた存在ならば、愛で繋がっているならば当たり前。
人間は本来様々な感覚を持っているはずなのだけれど、それを研ぎ澄まさないので失われているだけだと思います。誰もが霊感的な力は元来持っているものなのです。
人は誰しも、霊感的な超越した力を持っています。
それが自然なことであり当然なのです。
認知症を患っている方と霊感がある方の感覚は近いものがある
もう一つ気になった「認知症」だけど、私は認知症の方と多く触れ合う機会があってその時思ったことをお話します。
認知症の方の感覚というものは
- 現実世界を捉えている
という感覚よりも
- 自分が経験してきた感覚
- 自分の中で溜め込んできた記憶
などが混ざり合って、今を捉えているのではないかなと思うんだよね。
今、目の前で現実としてはこういったことが起こっているけれど、それとは別に過去のことだったり、自分が何となく意識下にあることを認知して、そっちの方に自分の意識が沈み込んでいき、現実との境が曖昧になっていくという感覚なのかなと。
この感覚や状態や瞬間というものはものすごく霊的な世界と繋がりやすいんではないかなと思うんだよね。
少しむずかしいが、続けてもらいたい。
うん。私は目の前で見えるものと霊的感覚で捉えたものが必ずしもリンクしないんだよね。
- 目の前の現実で起こっていること
- 心の中に入ってくる過去や未来の状態
- 感覚として伝わってくる亡くなった方の想い
- 次元が違う世界、別の世界線で起こりうる出来事
これらが混ざりながらそれぞれで進行するので、そうしたものの中から欲しい情報を霊的感覚で捉え、その中から取捨選別しながら意識を集中させて見ていくんだよね。
この行為の過程は認知症の方と恐らく近いものがあるのではないかと思ったことがある。
今、目の前にある現実と、意識の中にあるものの境界線が曖昧になるということなのかな。
- 小学生の時の自分
- 大人になっている自分
- 老人になった自分
- 別次元の自分
というそれぞれの世界の層が本来は一定の条件で区切られているのに、一緒の同じ層になって認識しているような感じだよね。
これ、今書いていても、とても表現として難しいね。
- あの時
- この時
- 別の時
- 現在
- 未来
- 過去
- 別世界
が現実世界の現実時間とはまた別に同時に進行している。
で、どの進行状態に意識を合わせていくかで得る情報が異なるみたいな感じだよね
あまり言葉にしたことは無いけど言葉にするとそういうことなのかもしれないね。だから、ものすごく体力、知力を使うんだよね。エネルギー源がどうしても必要になってしまう笑
エネルギー源を欲するためにどうしても甘いものが食べたくなります笑
それに付き合う弟は太っていくのです笑
人は亡くなる直前に家族に会いに来る〜総まとめ〜
- 亡くなる方が会いに来るというよりも受け取った側の霊感が研ぎ澄まされている状態である
- 「むしの知らせ」という霊感は誰しもが本来もっているものである
- 認知症を患っている場合、霊的な世界と繋がりやすいことがある
今回のお話のように誰もが体験したことがあるような不思議な話を深ぼっていくことで色々なことが見えてくるね。新たな試みの記事だったのですが、いかがでしたか?
こういった私の見解に需要があるのかね・・・。私は私の意見や見解が果たして本当に求められているのかが心配な時があるよ。
そこは安心してくだせぇ。少なくとも僕は姉ちゃんの今回の話非常に、非常に面白かったしこういう話はとても大好きだよ。心から面白い内容であった!読者一人獲得だと思ってよ!!
甘いもので太ってしまったから10人分くらいの読者獲得だと思うことにするよ笑
10人は言い過ぎ!!笑
それでは、ここまでになります。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は何かお力になることができましたでしょうか。長い記事を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。また次の記事でお会いいたしましょう。
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みなさん、こんにちは。弟です。本日は読者さんから頂いた不思議な話に関して姉の見解や僕の感じる疑問を姉とディスカッションしてきたので
そちらを記事としてお送りいたします。
それでは、まず読者さんの不思議な体験をお読みください。